第35代首相(1964~)民主党
華僑系貴族ウェーチャーチーワ家出身。民主党党首。反タックシン派。オクスフォード大卒。1992年、
27歳で国会議員に初当選。2005年、民主党党首に就任。2008年、人民の力党(タックシン派)の解党
により下院選挙が行われる。タックシン派はタイ貢献(プア・タイ)党を結成したが議員数が足りなかっ
た。民主党も過半数に達せず、軍が仲介して元愛国党(タックシン派)のネーウィン派を引き込み、7党
立ての連立政権が成立。40歳で首相に就任。エリート層の推す民主党は「都市型」、元愛国党のネーウィ
ン派は「農村型」、政治関与を狙う国軍、王室支持勢力の4つのグループで構成。同政権はタクシン派の
完全駆除と、治安の回復が第一目標とされた。同年、リーマンショックが起こり初めて輸出金額の成長
が止まり減少した。政治混乱に加え、国内消費が減退し、都市部の失業者の増加といった要因が重なり、
深刻な経済危機に陥った。2009年、パッタヤーのASEANサミットに赤シャツ(タックシン派)の群衆
がなだれ込み中止となった。2010年3月、首都バンコクで、赤シャツのデモが勃発。同年5月、国軍を
投入し「暗黒の土曜日事件」で一般市民90人が死亡。2011年、不満を外に向けるため、カンボジアに
攻撃を強行。この紛争で兵士や住民が30人近く死亡。100人以上負傷。同年、選挙でタイ貢献党(タッ
クシン派)が勝利し、民主党は下野した。2019年の下院総選挙で1位は貢献党(野党タックシン派)で
2位にプラユット率いる「国民国家の力党」となり、プラユットから民主党に連立与党の打診がくる。
民主党が貢献党に付けば下院では過半数になるが、軍政下で任命された上院250議席も首相指名に加わ
ると過半数に足りない。民主党はプラユットを受けて与党入りするがアピシットは、軍政を拒み党首を
降りた。もともと都市部と南部に強かった民主党だが、軍政に下ったことから2023年の選挙で大敗。