サマック・スントラウェート

サマック・スントラウェート11/08/07

第33代首相(1935〜2009)人民の力党(旧愛国党)

貴族の家柄。タマサート大卒。1975年に副農相として初入閣。内相、運輸通信相、副首相など歴任。

民主党に所属していたが、プラチャー・コン・タイ党を自ら立ち上げた。2000年にクルンテープ(バ

ンコク)都知事に100万票を得て就任。タックシンの愛国党が解散命令で新党を設立する時間的余裕が

ないため、サマック率いる人民の力党(PPP)を乗っ取った。旧愛国党の議員200人をPPPに移籍させ

た。サマックは「タックシンの代理人」を公言し、総選挙で第一党に躍り出て2008年2月、首相に就

任。基本政策六項目が、①国民の和解と民主主義の復興。②経済刺激政策。③メガプロジェクトの推

進。④代替エネルギーとバイオなどの研究推進。⑤教育開発。⑥一般方針(国民の権利保護、汚職の

追放、足りるを知る)公表された。同月、入国が許されなかったタックシンが帰国。反タックシン派

は攻勢を強め、デモやTV局を占拠した。同年7月、株式譲渡の脱税容疑で、タックシン夫人に懲役三

年の実刑判決が下る。同年8月、タックシン本人にも関与による逮捕の可能性が高まり、夫妻は逮捕

を避け北京からアメリカに渡る。同年9月、料理番組の報酬が首相の副業禁止条項に抵触したとされ

サマックは失職した。憲法裁判所により「愛国党の解散と、党役員111名の5年間の選挙権停止」「

タックシン夫人の脱税」「料理番組の報酬による首相更迭」や後の「人民の力党ほか与党3党の解散」

などタックシン派排除の命令が出される。国王により任命され、民主的選挙で選ばれていない憲法裁

判官が国政を左右するシステムに国内外から疑問が投げかけられる。

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